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「イイ人」やっているから愛されるのか?

 

 

こんばんは

今日は表面上の事象と内面の葛藤が
かけ離れた課題。

でも本質は

「両親の生き方を外れても
愛されているか」

という事を問うている感じ。

昭和世代の頑張って獲得してきた親は
その社会のルールを守ること
マジョリティの信じる信念に
従うことをよしとして、子供に
自分の考えを話します。

子供にとって親は絶対の存在なので
何気なく言った言葉を真に受けます。

例えば

「〇〇なんて仕事は稼げないよね」

と呟くと、無意識に〇〇は選択しないように
方向転換します。

そんな風にやってある程度社会でも
やってきたのに、ある時

「これでいいんんだっけ?」

という声が内側から聞こえます。

それは

「心は安定したい
魂は成長したい」

と願っているから。

安心のステージになると次は
魂の声が響くわけです。

今までは親のいう通り、社会の
当たり前をやって評価を得るのは
ロケットの第一エンジンの様なもの。

本来の自分(魂の満足)を得るには
今まで握っていた

「イイヒト」

を演じる為にやっていた事を
辞める必要があるのです。

でも自分が「イイヒト」をやっているから
愛されていると思う相手に好かれて
囲まれている人生を無難に送るのか
自分のダメさを出しても去らない相手と
一緒に生きるのがいいのか?

そこの決断ですね

死んだ様に生きるなら死んでるのと
そんな変わらない。

応援しています。