自分を修めた分だけ安心感を与える人になる
おはようございます。
信州でお墓参りとリフレッシュをすませ
てまた元氣を増しています。
今回一緒にいった知人と話をして
思ったのは、人生の苦労や幸せの総量は
誰もが一緒に設定されている!
という事。
その人が持って生まれた課題によって
苦労の種類は違えども、頑張って課題を
解決すべき量は決まっていて
それを本人がどう捉えるか?!で
その人生の色合いが変わるのでしょう。
自分が自分を
「被害者
ひどい事された
わりにあわない!」
みたいに感じていると
いつまでもその課題は解決しません。
「被害者だから私が正しくて、相手が
変わるべき!」
と心の中で設定されてしまうからです。
逆に自分が解決すべき課題として、
自分にできる事を一生懸命やっていると
自然と良い感じに整っていくようです。
私の親戚のお姉さんは、継母に育てられ
中学の頃から、お弁当も自分で作り、
新しい妹、弟の面倒をみていました。
継母から全く相手にされず、それでも
自分を嘆かず、可哀想な人にしませんでした。
彼女は65歳になる今も元氣で仕事をして
います。
彼女の周りはいつもお友達が一杯寄って
来ます。
小さい頃から、テンコモリの理不尽を
自分で修めなければならなかった人生。
そんな体験を通して、心を養った彼女の
そばにいるだけで、人は安心を得て
いきます。
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そんな彼女に私もいつも癒されます。
そして彼女とは血は繋がっていないのに
家族よりも深い信頼をおいているのです。