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自分責め地獄からの脱出法 その2

今年は自分の棚卸総決算のような
1年にしようと、がっつり取組み中。

昨日の続きです。

生まれつき喘息で運動が出来ず
母の手をかけてばかりの私は、いつも
姉と比べられていました。

姉は普通に健康で、運動もできる

先に習い始めたピアノもうまい。

学校に通うと成績もよい。

母は生活費の為に英語塾を開いて
教えていました。

私の看病や家事、仕事といつも
忙しい母にかまって欲しくて、
私は一生懸命姉に勝てるポイントを
みつけようとしていました。

それは

*氣がきくこと

*面白い事をいうこと

でした。

両親がパッション系で、常に

「次に相手がどんな感情になるのか?

怒られないか?」

を氣にして生きていたので、怒られない
ように、いつも緊張して、そして相手
が笑える事を言おうと無自覚に頑張って
いたのですねー

喘息が治るまでの10歳まで、そんな事
が、自分が何をしたいかより
優先で、芸?を磨いていました。

10歳からは「お受験」が始まった
のです。

運動もドン臭く、母の自慢に
なる事が出来なかった私ですが

「テストの点数」

だけは何故かよく、この
受験勉強にはまっていって
しまいました。

でもこれは大変です。

私から

「好き嫌い」

を取ったらスカスカになるん
じゃないか!!という程なのに
嫌いな教科(暗記物)も頑張る
って事なのです。

さらにまぐれで、塾のテストで

「優良賞」

なるものを取って以来、
母のお受験熱がヒートアップ!!

毎回点数を気にし始めて90点でも

「なんで10点間違えるの?」

と問われる。

母の期待に応えて笑顔にしたいし
自分の我慢をどんどん超えてきた
あたりで11歳で拒食症に。。

自分の潜在意識の願望

*みんなと一緒の学校から
逃れたい

*つまらない&しんどい受験勉強
をやめたい

が叶った訳です。

入院したのですが、別に身体が
悪い訳ではないので検査しても
何も出ません。

最後は病院を脱走して、警察の
お世話になって、家に帰るという。

その後もスッタモンダありましたが
家にも居場所もないので、また
学校に通いました。

そこで、みんなから

「ガイコツ」

呼ばれされ、村八分にされた経験から

「自分をいじめた奴とは一緒の
学校に行かない!!」

という負けん気でまたお受験
頑張るという方向に戻っていきます。

「負けて優しくされる」

という経験がないまま、外側の
成功を追いかけていく方を
選ぶのです。

その中ではやはり

「できる自分、優秀な自分は〇
社会的評価のない自分はX」

という内面を変えていません。

どこまでドM人生なのか(笑)

それが会社に行ってさらに
深刻になっていきます。


→明日に続く

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「愛と勇気のケツバットコンサルタント」
酒井 理彩。です。

今日もお読み頂きありがとうございます。
そんな優しいあなたが大好きです(^0^)