それでも私は愛されていますか?
私は昔からちょっと変わった子でした。
母が躾の為に
「目上の人は敬いなさい」
と言った時にすかさず
「生きた中身によるじゃんね」
と返答して平手打ちされたり。
父が食卓で、母と口論していたら
「弱い犬ほどよく吠える」
と言わなくてもいいことをいって
蹴られたり。
そんな自分の心を感じていたら
小さいながらもこんな声が
聞こえてきました。
「この私でも愛してくれていますか?」
と確認したい。
両親は昭和アルアルの
世間体や善悪軸で物事を判断する
タイプ。
しかも自分達が当たり前にその枠組みを
受け容れているので、その正誤を
確認したりしません。
自分の子供がその枠に従わなければ
子供を怒鳴るか、叩くかして
従わせるのが愛と思っています。
幼い頃の私は、親が与えるその枠組みを
めちゃくちゃ嫌っていて、従うのが
嫌でした。
理由も言われず押し付けられるという
感覚、そして
「ありのままの自分ではダメ」
というメッセージを受け取ってしまって
いたからです。
親の愛を確認したくて、いろいろ
やらかしていたのか、と思います。
電車や歩道で、子供が泣きさわぐ姿を
みる時に
「ああ、自分の気持ちをわかって
ほしいんだなあ」
とみています。
そしてそのご両親がゆったりしていると
あんがい、泣き止む感じですね
ギャン泣きしている子供は
親の愛を試しているのかも